ポリ「塩化」ビフェニル(PCB)の歴史を紐解く シリーズ1

以前のブログでも紹介しましたが、1881年にドイツのシュミット氏とシュツル氏が世界で始めてPCB合成に成功します。この段階では、単に合成に成功しただけで特別工業化されたわけではありませんでした。本格的な工業化に至るまでには、その後40年もの後のことですが、そこには戦争が大きく関与することになってきます。

1914年7月にフランス、イギリス、ロシアを中心とした連合国とドイツ、オーストリアを中心とした中央同盟国による大きな戦争が勃発しました。後にこれを第一世界大戦と呼ぶようになりましたが、PCBという有機塩素化合物は、この時に命を吹き込まれたと言って過言ではありません。

当時のドイツは、世界トップレベルの合成化学の技術を持ち合わせており、様々な有機物を生み出しておりました。またそれら技術の基本があって、今の私たちの生活が支えられているわけです。しかしこの戦争でドイツは、これまでの合成化学の技術を用いて有機塩素化合物である毒ガスを開発し、使用することになるのです。これが塩素ガスです。

フリッツ=ハーバー(1868~1934)以下ウキペディア参照https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

という人物をご存知でしょうか?

彼は、もともとユダヤ人で、第一次世界大戦に大きな貢献をした化学者と称されており、毒ガスとして、塩素ガスを開発し、この戦争に使用することを思いつくわけです。ちなみに、この戦争では人類初の化学兵器(毒ガス)が使われたことでも有名です。

PCB処理の前処理、液抜き作業

この塩素ガスは、有機塩素化合物の一種で、空気より重い性質持ち、少しの量で動物を死に至らしめることができます。この性質を活かし、相手の「たこつぼ」に沈みこませ、相手の戦闘能力を奪い、連合国を追い込みます。(ドイツなどの中央同盟国の優勢かと思われたのですが、戦争終結前後にはドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国が消滅することになる。)しかし、戦争が終結した1918年~1919年代では、兵器用の塩素ガスの生産工場はドイツにそのまま設けられており、化学者や企業らは、これら工場を兵器でなく、工業材料などで有効利用できる策を模索することになります。この時、実にたくさんの有機塩素化合物が誕生することになりますが、このころから世界では、蚊によるマラリア、農地の増産などによる食料の確保などの社会問題を解決しようとしており、農薬、殺虫剤などの有機塩素化合物が使用されるようになります。そして、この盛り上がりの影響を受けて、1881年に発見された塩素系のPCBにも注目が集まり、本格的に工業生産に移されるようになります。

ところで、PCBの正式名称は、ポリ塩化ビフェニルといいますが、「塩化」というところが重要で、まさに塩素を用いて作られた化学物質であることが分かります。

PCBが開発された1881年から第一次世界大戦を終えて有機塩素化合物の祭り?にPCBが参加する形で、ドイツのみならず、世界でもPCBの工業化を推進する動きが出てきます。そして、1929年、アメリカのスワン社がPCBの工業化に名乗りを上げます。当時から電力機器に使用するPCB入り絶縁油の需要は世界中で増えており、そこから数年のうちに同社は、モンサント社に吸収合併され、本格的にPCBを工業化し売り出すことになります。

そして、また、そうこうしているうちに、また戦争が勃発します。

第二次世界大戦です。

この戦争では、第一次世界大戦の産物であるPCBを含めた有機塩素化合物が大活躍することになります。第二次世界大戦では、燃えにくいという性質を持つPCBは、電力機器という絶縁油の使用用途のみならず、防火の目的で、軍用の油や合成ゴムなどにも大量に使用されることとなります。まさにPCBは、第二次世界大戦で大活躍の化学物質となるのです。モンサント社は、この大戦により莫大な利益を得たのではないでしょうか?そして終戦を迎えたころから、PCBの需要は落ち込み、PCBの製造工場だけはたくさん残っている形となりました。

そして、歴史は繰り返されます。

今度はPCBをどうやって民間で使用していくかを企業は考えるようになります。軍用に製造された合成ゴムは引き続きPCBを含有させ、それ以外にも紙、塗装用のペンキ等々に、大量のPCBが使用され、流通したのです。日本がPCBに汚染される下地がここで作られたのです。

余談ですが、この時代では、PCB以外にもある有名な化学物質が幅を利かせます。

化学物質による警鐘を促した世界初の書籍「沈黙の春」

農薬散布で使用される化学物質、DDTです。この戦争に直接DDTを使用しているわけではありませんが、この化学物質もこの時代から大量に使われ始めます。DDTと言えば、1962年に「沈黙の春」を世に出したレイチェル・カーソンが有名で、化学物質による警鐘を促した世界初の書籍としています。

「沈黙の春」の中で、わたくし個人的に印象に残る一説がこれです。

自然界の保全について、われわれが慎重を欠いていた事を未来の世代はけっして許さぬだろう。

未来の世代とはまさに今の私たちのことで、私たちが、高額なPCBの処分費を支払い、後始末をしているわけですが、この世代責任を次の未来こそは、引き継がせてはならないという戒めとして、記憶に残っているのかもしれません。

第二次世界大戦を経て、いよいよ日本にもPCBが本格的に上陸してまいります。このあと、日本はどのようにPCBに汚染されていくのか、次回のブログに続きます。

参考文献:沈黙の春(レイチェルカーソン著):化学物質と人間(磯野直秀著):複合汚染(有吉佐和子著)

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